ブラインドアスリート佐藤誠喜

20代半、突然発症した原因不明の病気によって、私は光を失い盲目となりました。 今は槍投げのアスリートとして、2020年東京パラリンピックに向けて頑張っています!!

あれから8年

こんばんは。

今日は、あの東日本大震災から8年の日です。

もう8年。まだ8年。

それぞれ感じ方は様々だと思います。

テレビ・ラジオや新聞等で取り上げなかったところはないでしょう。

今日の宮城は一日中雨でした。

僕は自宅にいましたが、震災が起きた14:46に合わせ、そっと目を閉じ黙とうをしま
した。

亡くなった方や未だ行方不明の方々に対し、ご冥福をお祈りします。


あの時そして今も何の役にもたてなかった自分。

未だに何もできていない自分に歯がゆさを感じます。


あの頃、2012年ロンドンパラ出場権を獲得すべく短距離で頑張っていました。

2011年の正に震災直後の4月にIBSA(国際視覚障碍者スポーツ連盟)世界大会が
トルコのアンタリアで開催されました。

僕は、日本代表として選ばれリレーでも出る予定でした。

悩みました。

周囲の人達が一生懸命日々の生活や復旧に尽力している中、僕だけ海外に行っていい
のだろうか…。

自分は、がれき撤去の手伝いも給水もできません。

有人にも相談しました。

「それぞれの人が、自分が今できることをすればいい」

「あなたは日の丸を付けて、世界の人々に被災しても復興に向け頑張っていることを
発信してきなさい」

力強い言葉でした。

「そう、自分には走ることしかない」

職場の理解も有り、大会に出場を決めましたが、新幹線はおろか在来線も動いておら
ず、成田空港までは、高速バスを何度か乗り継いで行きました。

大会では、いろいろな国の人達に

「ツナミ、ツナミ」

等と話かけられたり、言葉はわかりませんでしたが、様々な国の言葉で大丈夫かみた
いな声をかけられました。

皆、日本の震災を心配してましたね。

僕は、「怖かった」みたいなジェスチャーをしたら、

「oh!sorry」

「japan fight!」

と応援してくれました。


個人種目では結果はでませんでしたが、なんとかマイルリレー(1600m)で銅メダル
を取ることができ、皆の力になればと思っていましたが、その獲得した4月7日は2回
目の震災があった日でした。