ブラインドアスリート佐藤誠喜

20代半、突然発症した原因不明の病気によって、私は光を失い盲目となりました。今 は砲丸投げのアスリートとして、2024年に開催されるパリパラリンピック出場を目標 に頑張っています!!

再会

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こんばんは。

ある人から、5月2日に久々に連絡がきました。

それは、今年4月に転職して仙台に戻ってきたという連絡でした。

そのある人というのは、仙台大学(陸上部)の卒業生 阿部大地君です。

彼は、絶対に忘れてはいけない人の一人ですね。

思い起こせば7年前(2012年)に伴走を探し県内の大学に伴走ボランティア依頼して
いた頃の話です。

彼が「僕で良ければ伴走します」と連絡をくれたからです。

そこから、仙台大学陸上部との付き合いが始まりました。

彼が連絡くれなかったら、現在の後輩達にも繋がらなかったでしょう。

大地君とは同年の8月4日に初めて伴走してもらいました。

偶然にも昨日練習した岩沼市陸上競技場です。

その時の練習メニューは

SD30m*2本+60m*1本/150mTT*2本 でした。

その頃ちょうどケガ明けでMAX練習は久々だったので、本数を減らしたと僕の陸上
日記に書いてましたね。

そう、僕は陸上始めた頃(2003年)から陸上日記を付けてました。

迷った時、悩んだときに読み返してます。

でもほとんど読み返すことはないんですけどね。

書いている意味としては、「何を意識しどこに意識を持ったのか、意識したことが実
際どうだったのか」を書くことは、書くことにより頭に刷り込むことと、次回の練習
にどう繋げるかということを考えるからです。

やはり書くことは考えながら書くので、記憶に残りやすいからです。

また、ケガをしたのであれば、自分でどの程度の痛みがあってどのようにリハビリを
してどのくらいの期間で回復したことも日記から参考になるので、次のケガでの過ご
し方にもかなり役立ちました。


おーっと、ちょいと脱線してしまいました。

ちなみに、大地君の初めての伴走だったのに、150mは19秒前半と書いてましたね。

速かったと思います。

大地君は、その数か月後から後輩を数人入れて、伴走リーダーとして卒業間際の2014
年1月4日まで続けてくれました。

彼は、2013年の障碍者東京国体の伴走をし、僕に100m・200mで金メダルを取らせて
くれた人でもあります。


話を戻します。

大地君からの連絡で、今日の昼、仙台で5年ぶりに再会しました。

昼飯を食べたり、お茶して、お互いの近況を話しましたね。

男同士で4時間も一緒にいましたよ。

それでも話足りませんでしたけどね。

まー、お互い基本根は変わってないという印象でした。

僕が現役で陸上続けていたことは嬉しかったみたいです。

こうして、卒業後も会ってくれたことは凄く嬉しかったです。

一緒に練習し、大会にも出たことは、’同じ釜の飯を食べた仲間’のような気持ちで
す。

例えが古かったですかね。

大地君、今度はお酒でも飲みに行きましょうかねー。


過去に僕の伴走した他の人共会いたいですね。

仙台に来るようなことがあったら、連絡ほしいですね。