ブラインドアスリート佐藤誠喜

20代半、突然発症した原因不明の病気によって、私は光を失い盲目となりました。今 は砲丸投げのアスリートとして、2024年に開催されるパリパラリンピック出場を目標 に頑張っています!!

平成も終わりですね。

こんばんは。

今日は朝から雨。

練習予定でしたが、雨では中止にするしかなかったですねー。

大人しく自宅で筋トレしてました。

平成最後のこの日をきちんと練習で閉めたかったのですがねー。


ということで、テレビ・ラジオ等いろんなところで、「平成最後」という言葉が聞こ
えてますね。

残すところ数時間で新元号’令和’になりますね。

今月に入り、平静を振り返っている人も多いかと思います。

自分も「何があったかなー」と振り返るといろんなことが…。

一言でいうと’波乱万丈’っていったところでしょうか。

平成に入り、高校卒業、そして就職。

平成6年に結婚し子供もでき普通の生活を送っていました。

8年までは’順風満帆’だった気がします。

9年頃から徐々に視力低下。

12年には盲学校入学するまでに視力を落とし、視力低下と比例するかのように夫婦仲
も冷えていき、その年に離婚…。

再起をかけ盲学校では、勉強やスポーツを一生懸命しました。

13年には、第1回全国障碍者スポーツ大会(宮城大会)が開催され、仙台市代表とし
陸上競技に出たのが、これまで続けてきた陸上競技のきっかけでした。

15年に学校卒業し、もっと競技がしたくて、知り合いの知り合いという感じで走りを
教えてもらえる人を紹介してもらい、走りの基礎を固めていきました。

17年に初めて日本代表として国際大会出場。

しかし、未だにパラへの出場は叶っていません。

目が見えなくなってきた頃は、谷底へ転がり落ちる気分でしたね。

弱視の頃は、自分の見えている物やいろんなものが信じられず、イライラしていた毎
日を送っていた気がします。

逆に、全盲になってからは「どうせ見えないんだ」と現実を受け入れられるようにな
り、落ち着きました。

今、こうやって協議を続けられているのも「これ以上の底はない」と思ったことと、
僕に関わった周りの人たちのおかげですね。

明日から’令和’という元号になるのですから、平成の経験を活かし、飛躍したいと
思います。

平静で溜めたフラストレーションを一気に爆発させるぞ。


そして、我が楽天イーグルスも令和の始まりに優勝してくださいね。

フレーッ、フレーッ、イーグルス

フレーッ、フレーッ、自分!